天下一品 膳所店

 あまりです。先日滋賀県に行く用事がありまして。

 用事が済んでお昼過ぎ。天下一品膳所店を目指して琵琶湖沿いを歩いていきました。

 

 JR膳所駅から歩道橋を渡り、そのまま国道一号線を南東へ進みます。

 

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結構歩いたので嬉しく写真撮っちゃいましたよね

 

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外観

 

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外観その2

 営業時間は11時~24時、木曜定休です。

 

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メニュー

 以前どこかでみた納豆ラーメンやカレーラーメンはメニューには無いようですね(2020.0610現在)。期間限定メニューか何かだったのでしょうか。

 ネギ大は別料金。定食の小ライスは無料で並盛に変更出来ますが、おかわり無料ではありません。

 

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はまぐり!そういうのもあるのか

 

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満腹セットの図

 満腹セットラーメンこってり大ニンニク有、麺バリカタ、ネギ並盛です。ニンニクはすっきりめのスープにあらかじめ溶かされていますね。

 

 

 ごちそうさまでした。

落ちる

 窓を開け、本を読んでいる。その日何十何百と繰り返したのと同じように瞬きし、次に目を開けるとそこは空の中だった。…三、四、五秒。意識が止まっていた体感二秒を足して五。五秒数えたところで彼は自分が落ちていることに気がついた。

 落ちているようだ、というべきか。自分が落ちているのか昇っているのか、飛んでいるのか跳んでいるのかもわからない。柳のような白い風が背後へ流れていく。五秒もの間を落ちているのだとしたら、再び生きて地を踏むことは叶うまい。色も形もわからぬ地に黒い染みをつけることになる。

 六秒。

 七秒。

 八秒。

 悔いはないか。よくわからない。よくわからなかったが、妙に落ち着いた自分の態度を不思議とは思わなかった。

 九秒。……。

 十秒。長い。永すぎる。時速100キロとして十秒。100を60で割って60で割って。

 十一秒。100じゃない100000だ。100000を3600で割って。

 十二秒。3、よりちょっと小さいくらい。

 十三秒。3、30メートル弱!300メートル以上こうしているのか。300メートルか。驚くような数字ではなかった。

 十四秒。怖くなってきた。

 十五秒。一思いにやってくれ。固く目を瞑り、次に開くと本があり、床があり、風が無かった。タッ、という音に振り向く。開け放した窓の外。土の上に染みが増えていく。

 夏の雨は、いつも突然だ。

淀の水鳥

 「普通はこうだ」という思い込みの強さは、快不快を周囲と共有した経験の数によって決まるものであり、私のそれはあまり強くないものだと思います。物知りだとか賢いだとか云われることもありましたが、私にとって知識とは、生きる術でした。

 

 周りの人が見ているものが、自分には見えない。何が見えているのか尋ねても、「お前の目の前にもある、それだよ」としか言われない。恐ろしく、不安でした。

 

 何も感じないわけではないんです。目に映るもの、手に触れるものに涙を流す体験を共有したことはあります。ですが彼らはしばしば、私には見えないものの話をします。

 

 それが見えないというのは、どうやら彼らにとって理解し難いことのようです。一度訊いたことがあります。一体何の話をしているのか、と。私にはそれが見えないのだ、と。

 彼らは気の毒そうに私を見て、言いました。「経験が足りないんだよ」

 

 わかりません。彼らが見えていると言うそれが一体何なのか。私は騙されているのでしょうか。周りの人間はみんな嘘を吐いていて、みんなが嘘を吐いているということを私だけが知らないのでしょうか。

 

 話を合わせて関係を築いても、やがて傷つき、ひび割れ、砕けてしまいます。痛いのは苦手です。こんなにも痛いのなら、はじめから関わらない方が自分のためだと思いました。

 

 私は羽の折れた水鳥です。どこへ飛んでいく力もありません。川の魚たちのように水中で暮らすことは出来ません。魚たちを食い物にして堂々と生きていく気概もありません。

 

 といって、今すぐに死にたいわけでも、ないのです。淀んだ水と、落ちた果実とを口にして、死なず生きずで暮らしています。

ドアツードア

 「弊社まではドアツードアでどれくらいでしたか?」

 「ドアツードア……?電車に乗ってる時間ってことですか?」

 

 あまりです。先日アルバイトの面接に行ってきました。落ちました。

 

 冒頭の会話はその時のものです。このやりとりが不採用の原因かどうかはわかりませんが、なんとなく(常識無いな……)という印象を与えてしまったような気はします。

 通勤手段や所要時間を説明させること自体は採用面接での定番だと思いますが、「ドアツードア」という言葉で訊かれたのは初めてでした。今回はこの「ドアツードア」なる言葉について考えます。

 

 面接後、家に帰って父に訊いてみました。会社員の父曰く、ドアツードアとはdoor to door、つまり自宅のドアを出てから会社のドアをくぐるまでの所要時間のことを指す、とのことです。なるほど、先日の面接官もこの意味で使っていたと思われます。

 一方私はドアツードアを「ドアを開ければすぐドアがある」状態、即ち徒歩での移動がほとんどないタクシーのような交通手段を指すものだと思っていました。家のドア、タクシーのドア、目的地のドア、というイメージです。多分昔読んだ漫画か小説でそういった使い方がされていたのだとおもいます。面接官とのかみ合わないやり取りもこの思い込みによって起こったものでした。

 他には、「時間が無かったからドアツードアで書類を作成」のような移動している状態を表す使い方もネット上で見つけました。

 以上三通りのパターンが見つかりました。一つ目と三つ目は統合して構わないと思いますので、「移動時間」の意味と「単一の輸送手段による移動」の意味があることになります。

 

 ドアツードア広辞苑で引いてみます。

>>①自宅から目的の建物までの所要時間などを言うときに使う語。②個々の家庭への配送など、運搬配達のきめ細かさを言う語。

 「移動時間」は①の意味に、「単一の輸送手段による移動」は②の意味に近く、どちらも誤りではないと云えそうです。

 誤りでないのならどちらも覚えてしまいましょう、ということで知識をアップデートしておきたいと思います。今回の件も、私が両方の意味を知っていれば回避出来た事態ですしね。

 

 

自称発達障害

 「私、高所恐怖症なんだよね~」って言ってる人、いますよね。飲み会の席なんかでも使えて、それでいてそんなに場がしらけることもない表明です。パーソナリティ、個性として受け止められやすい高所恐怖症ですが、「症」という字が入っているということは病気の一種なんでしょうか。

 

 Wikipediaを見てみると高所恐怖症とは別に高所恐怖癖なんて言葉もあるみたいです。>>厳密に言えば「単に高い場所が苦手なこと」とは異なる(こちらは正確には「高所恐怖癖」という。高い場所で本能的に危険を感じ、怖がるのは身を守るための正常な反応である[1])。真性患者は全高1メートル弱の脚立の上でも身体が竦み、動けなくなってしまう。重度の場合はパニックになり嘔吐するといった症状が見られる。その為、日常生活においても影響を及ぼし、治療が必須とされる不安障害ともされている。 

 

 なるほど、本能的に高所を恐れる「癖」自体はむしろ正常なもの。ただし日常生活に支障を来す場合は「症状」として治療対象となる、といったところでしょうか。

 

 この構図、発達障害のいわゆるグレーゾーン問題と似ていると思うんですよね。‪発達障害自閉症スペクトラムなどの診断が下されていない人達って、障害者枠にも一般枠にも居場所を見つけられないことがあるじゃないですか。親や上司には「どうして同じように出来ないんだ」と叱られ、癒しを求めて開いたネット掲示板では「本当の発達障害はそんなもんじゃない」という意見が目に入る。意を決して心療内科の門を叩くも、診断は下りず。

 

 最初の心療内科で「発達障害じゃないよ」と言われた時、落胆したのを覚えています。「医者が違うと言うなら自分は発達障害なんかじゃなく、努力不足で怠け者なだけのクズ野郎なんだ!安心した!仕事さがそ!」ってなりますか?なりませんでしたよ、私は。「はぁ、そうですか」なんて言いながら心の中では思いっきり医者を、診断基準を疑っていました。診察さえ受ければ楽になれる。そういう希望的観測があったのでしょうね。

 

 家に帰って思いました。診断がゴールじゃない。診断が出ようが出まいが、自分が抱えるモノは変わらない。自分が健常者だとしても、発達障害を自称しているだけの怠け者だとしても、この苦しさは本物だ、と。

 

 いつの日か、高所恐怖症と同じように発達障害を自称出来れば、と思うことがあります。白か黒かの偽物探しでは無く、グラデーションの中で自分に何が出来るかを気軽に語り合えるような、そんな時間を。

ニジガクライブに行ってきたよ ライブ編(後)

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You”」完走へ向かう感想レポート後編、始まります。

前編→https://kamesoncyou.hatenablog.jp/entry/2019/12/16/203005

中編→https://kamesoncyou.hatenablog.jp/entry/2019/12/18/153844

後編→イマココ!



幸せになりたかった。なった。北欧に吹く爽風、天高く耳肥ゆるマイナスイオンボイス、エマ・ヴェルデ役指出毬亜さん!

「幸せ」。こんな優しい世界があるだろうか、いや、ない?あるんだなそれが!裏の裏の裏の裏、幸福の二重否定。春、アルプスの峰に落つる雪解け水の涙。蒼と青が育んだ吹き抜けの包容力、幸色のワンルーム劇場、ハピネスが溢れ出す……。幸せな語彙に満ち満ちたステージでしたね、、、。

……比喩がくどくなってきました。

「Evergreen」。笑顔の連峰に谺するクラップが実に心地好い。「どこまでも」「Ever」のトートロジーが少しもくどく感じないのは、流れ込む雄大な自然のイメージ故か。景色を「聴いた」のは初めてかもしれません。

幸せの具現、緑のうたのおねえさん、ばっくだんさ〜。突然N〇Kの情操教育番組が始まって度肝抜かれた「声繋ごう」。眠たがり、おどけ、はしゃいでまわる。くるくると回る6つの色に思わず口元が綻びます。伸びやかな曲にあてられた平易で素直な詩が、ちゅんるんの声に乗って胸の窓を開いて飛び込んできます。目覚め、そう、こんな気分で一日の始まりを迎えたい……。透き通る清水と草原を渡る風が、アスファルトに囲まれ煤に汚れた胸を優しく包み込んでくれます。

子供たちがくれたお手紙を嬉しそうに開いて見せるちゅんるん。そこでまた泣きました。なんだお前は引用ばっかりか?と思われそうで恐縮なんですが、私の大好きなアニメのワンシーンで、子供たちが先生のためにビデオレターを送る一幕がありまして。傷つき、悲観し、全てを投げ出して現実に抗った先生への、何よりの救済として演出されたこのラストシーンが好きで好きで。今回子供たちが満面の笑顔を添えてちゅんるんへと渡したんであろうお手紙をみて、そのシーンがフラッシュバックしました。大人にも子供にもそれぞれの傷や葛藤があるけれど、そうしたものを飛び越えて相手に届く詩が、心がある。本当に、最後の最後まで癒しに満ち溢れた優しいステージでした。


対象年齢の上下差で情緒壊れる。R15指定、夜のラブライブこと朝香果林役の久保田未夢さん。強く、大人びて、どこか捉えどころのないイメージだった果林先輩。ですがその心底には行き場のない、溢れんばかりの「Wish」が秘められていて。「大人じゃない、乙女です。泣いたりだってしちゃいます」というおねがいマイメロディオープニング曲の一節が思い起こされるような、果林先輩が抱え込んだ少女性に胸を突かれます。ラスサビ前、涙に呑まれ、壊れてしまいそうな弱さから一転、澄み渡る笑顔を見せ、力強く歌い上げる場面に、久保田未夢さんの持つ抜群の表現力が光ります。アリーナ、二階席、立ち見、ライブビューイング、そして虹ヶ咲のメンバーへと。語りかける声の力強さに、疲れも何も吹き飛ばされます。果林先輩と久保田さん本人との性格の違いも印象的でしたね。垣間見えるその表情は「お姉さん」というよりも「お姉ちゃん」と形容したくなる可愛らしさに溢れていたように思います。

暗転。静寂を切り裂くレーザービーム、スポットライトを一身に受け、君臨するステージの女王が帰ってきた!正直初見時の感想は「エッッッッッッッ!!!!」の一言(?)でしたが、「Wish」で打ち明けられた弱さ、二面性を踏まえてみると、また違った認識が生まれます。磐石の才覚に裏打ちされた天性の自信満々という評価は、翻って、弱さを覆い隠すべく積み上げた長大な城壁のようにも思われます。衆目を一点に集める彼女の背後には、閉ざされたもうひとつの緞帳がある。弱さを抱え、強さを証す。一度気がついてしまうと、二度目を離すことは叶わない、そんな危うさすら果林先輩のステージにおいては演出のひとつとして飾られる。光と影が交錯する魅惑のナイトステージでした。


え?19歳?まじで言ってんの?神が与え給うたこの世の奇跡。炎熱のステージに影を落とすは、ライブの化身、光の美少女。運営も演者もラルオタだろ!どエルともりる楠木ともり!優木せつ菜役のハイパースペックガールのお出ましだー!必殺のスカーレットストームで心もブレードも真っ赤っかに染め上げてくれーー!!

走り出したら止まらない!今回のスタートライナーも務め上げた彼女の一曲目は「CHASE!」!抱き寄せ、回し、蹴り倒す。マイクスタンドを酷使するそのパフォーマンスはさながら往年のロックスターか!?一体その身体のどこから出ているんだ。強く優しく響く魂のシャウトは想いを伝える熱量のクアンタムバースト、願いを届けろDaybreak’s Bell

テキトーに喋りすぎ。

「CHASE!」も印象に残る振りが多かったですね。100万ボルトのウインクに始まり、「繰り返した〜」のとこの連続指パッチンみたいな腕の振り、「その心があれば!」で力強く胸を指し、明滅と共にダダン!と足を踏みしめるサビ入り。なりたい自分を我慢しないと決めたその固い意思が、音速で胸を貫きます。

二曲目の「Melody!」にはスクールアイドルとしての優木せつ菜の想いがより直接的に表現されていたように思いましたね。彼女が、虹ヶ咲のみんなが抱える夢、希望、好きの気持ち。その重さを抱えてステージに立つ未だあどけなき少女の双眸の、それでいてなんとひたむきなことか。自分の、そして他人の好きに対して眩しいくらい真っ直ぐに向き合おうとする小さき勇者の言葉に思わず自らを省みてしまいます。果たして自分は彼女がくれた想いに、そして何より自分自身に胸を張れる生き方が出来ているでしょうか。彼女が信じた歌の力は、今、間違いなく私の心の奥の奥まで照らし尽くしてくれています。



くぅ〜、疲れました!これにて一先ず完走です!

初めは絵とか写真を添えた散文的なものにするつもりだったんですが、どうも筆が乗ってしまいましたね。形式に則った文章というのは、場合によっては四角四面で読みにくく、要点が伝わりにくくなってしまうという特性を持っています。それでも今回感想レポートの形式として一人ずつ、出来るだけ時系列に沿って書いてきたのは、偏に私自身の記憶力への信頼の低さからなんですよね。いや、別に変な意味ではなく、記憶って、時間とともにどうしても薄れてしまうじゃないですか。あの日感じた熱を、流した汗を、涙を、光陰の彼方に置き忘れてしまうのがすごく悔しく不安で。だからなるべく多くの情報を残せるような書き方をしてしまうんだと思います。いつか自分が、そしてこれを読んでくださっている方が(もしいればですが…)道に迷ったとき、あの日あの時のことを少しでも多く思い出して、そしてまた顔を上げて走り出す、そのきっかけとなれるように。私の文は、多くそうした動機に基づいて綴られています。

二日目冒頭、ともりるが発したコールにレスポンスを返せなかったとき、とても悔しい思いをしたのを覚えています。ここからは完全に私個人の懐事情なのですが、現在私は容量16GB、中古のiPhone6を使用しています。iosのアップデートを行い、何とかスクスタをダウンロードすることは出来たのですが、ストーリーを一括で読み込むには容量が足りず、一つずつ読み込もうにもすぐにアプリが落ちてしまう、という有様です。そんなわけで全然ストーリーを進めることが出来ずに、日々合宿とライブだけを細々とこなしていて、それでまあ端末スペックの問題なら仕方ないよね、と自分に言い聞かせながら今回のライブを迎えました。ところがそのライブでともりるが持つスクスタへの、虹ヶ咲への燃えるような熱意をまざまざと見せつけられ、決意します。端末買い換えよう、そして彼女の熱意に応えられるよう、力の限りコンテンツを追っていこう、と。

スマホくらい四の五の言わんと新品買わんかい、と言われると返す言葉もございません。定職にも就かず、ずるずるとモラトリアムを延長して生きてきた人間としては、反論のはの字も口に出すことは出来ません。

でも、そんな自分の心に火を灯してくれるものがあるのって、すごくないですか。私はすごいと思いました。心の中に暖かな陽が差し、希望が、生きる動機が芽生え始めたのです。

……なんだか大仰な話になってきましたが、なんのことはありません。よくある話です。生きがいを見つけて、明日も頑張ろうと思えた。きっと誰もが多かれ少なかれ持っているこの感情に、小さな小さな炎が灯されたこのきっかけを、私は生涯忘れないでしょう。

当初の想定よりも十倍くらい長くなった上に、その少なくない割合を自分語りで埋めてしまったこのシリーズを感想レポートと呼んで良いのかどうかわかりませんが、少なくともここに書いたものは全て偽らざる私の本音であります。

末筆になり恐縮ですが、キャスト・運営の方々をはじめ、二日間のステージに携わった全ての方に、そしてここまでお付き合い頂いた貴方の仏のような優しさにお礼申し上げます。本当にありがとう。そしてお疲れ様でした。(終)


追記 : スマホ機種変出来ました。少しずつですが、スクスタ本編のストーリー進めていきます。


追追記:ともりるかわいいよ

ニジガクライブに行ってきたよ ライブ編(中)

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live “with You”感想レポート中編、始まります。

 

前編→ニジガクライブに行ってきたよ ライブ編(前) - 余り者には不𠬝がある。 https://kamesoncyou.hatenablog.jp/entry/2019/12/16/203005

中編→イマココ!

後編→ ニジガクライブに行ってきたよ ライブ編(後) - 余り者には不𠬝がある。 https://kamesoncyou.hatenablog.jp/entry/2019/12/30/023058

 

 

突然トロッコで現れ、会場を沸かしてくれたのは宮下愛役、村上奈津実さん。村上さんについては、実は虹ヶ咲以前から名前を存じていました。「魔法使いと黒猫のウィズ」というゲーム中にウォーブリンガー=ミリィというキャラクターがいるのですが、そのミリィがまあ強烈な使い勝手で。登場から大分経つのに未だに第一線級で活躍してもらっていて、バトル中に繰り返し聴いたその声をあてていた人こそ、誰あろう村上さんでした。

なので村上さんがその底抜けに明るい声で愛さんを演じてくれると知ったときは、月並みな表現ですが、「はまり役だ」と嬉しくなったのを覚えています。新人を起用することが多いラブライブというコンテンツにおける貴重な思い入れが生まれた瞬間でした。

ライブ中でもその明るさを遺憾なく発揮してくれた村上さん。「友 & 愛」ではトロッコの上から私たちに笑顔を振りまきながら愛さんお得意のダジャレを披露してくれました。恥ずかしながら新曲アルバムを購入せずにライブに参加したのですが「友&愛(ユーエンドアイ)って言えなーい!!」の語感には一発でハマってしまいました。中央ステージに上がっての「めっちゃGoing!!」ではハート風船のプレゼントが!会場一万の同志たちが気をとられて村上さんにツッコまれてしまうほど会場は魅了されていましたね。それほどアップテンポというわけでもない愛さんの曲ですが、それでいて不思議と熱のこもった爽やかな満足感が生まれます。日々の出来事が、愛すべき友達といるだけで永遠の思い出になるような。あの頃、放課後の教室に置いてきた郷愁を取りに行くことは出来ない。それなら、今から新しく作ればいいじゃない!そう、簡単そうに言ってのけてくれる愛さんと過ごす青春のステージでした。

 

電子・ボード・素顔の表情三刀流!まさかのりなちゃんボードを装着して現れたのは天王寺璃奈役田中ちえ美さん!ちぇみー!近江彼方役の鬼頭明里さんのコール中ちょっと見切れてるボードに笑いました。

まずびっくりしたのが歌ってる声で、いやまあそりゃ本人だからと言われればそうなんですけど、声が天王寺璃奈ちゃんまんまなんですよ。結構ステージを広く使って振りも多いのにキャラとしての声が全然ブレない。「すげぇ!百点満点じゃん!」ってはしゃいでたんですけど、最後のMCで未だ納得出来ないところがあった、と振り返っていたのを聞いて、なんて向上心の強い人なんだ…!と感じ入ってしまいました。天使天才天王寺、まだまだ伸びるよ田中ちえ美。分離袖の衣装とドキピポのスキャット?部分のゆっくり頭回す振りや、ビビビのビームに合わせた弓を引くような振りなど、機械的なテンポの中に人間らしい情緒を感じる動きがあって。夢と現実が入り組む2.5次元ライブの、その中においてさらに入れ子構造的に組み上げられたメカ&ヒューマンの融合に我を忘れてブレードを振りましたね。びー!おー!えーあるでぃ!りなちゃんぼーど!


灯りが恋しくて震えてた!近江彼方役、鬼頭明里さん!立ち昇るスモークは天上の香りか夢幻の門か。不思議の世界へのインビテーション「My Own Fairy-Tail」。夢の国のお姫様になった彼方ちゃんの、夢だからこそ語れる本当の「夢」のお話。虹ヶ咲の曲には、こうした理想と現実の狭間に揺蕩う心情を唄った詩が多いような気がします。それぞれの現実を生きる私たちが、この夢の国の中でだけはひとつになることが出来る。儚くも美しい世界観の共有を体現した一曲でした。

続く「眠れる森に行きたいな」では夢から醒めた彼方ちゃんの、「現実」が描かれます。眠れる森の美女を羨む一人の少女が過ごす日常。夢、現実、そしてまた夢。瞼に映す世界は夢か現か幻か。蝶になった彼方ちゃんは、夢と現との行き来すらも楽しんでいるように見えます。気持ちよく寝られる場所を探して白昼夢に舞う彼女。時として手の届かない場所へ飛んでいってしまいそうな不安に見舞われますが、またいつの間にか元の場所で寝息を立てている。きっとこの虹ヶ咲のステージは、素晴らしく寝心地が良いのでしょうね。



後編へ続く。