「(40+60)÷2」派の頭の中

ネットでみつけた問題

「少女は、車を運転して家から隣町までの距離を往復した。
 行きは時速40km。
 帰りは時速60km。
 では、少女の平均時速は?」

というもの。

(40+60)÷2で時速50kmが答えだと思ったのだが、これは不正解である、と。

速さとは距離を時間で割って求めるものである。

計算しやすくするため、仮に片道の距離を40と60の最小公倍数である120と置き、往路と復路のそれぞれにかかった時間を求めると、

(往路にかかった時間)=120÷40=3時間
(復路にかかった時間)=120÷60=2時間

120kmの道のりを行きは3時間、帰りは2時間かけて走ったので、合計240kmの道のりを5時間かけて走ったことになる。よって、

(120+120)÷(3+2)=48

となり、平均時速は48kmが正解である……と。


納得いかね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!


この問題、中学校入試なんかでよく出題されるものらしい。つまり小学校までに習う知識で解くことが出来るとされているのだ。
そんな問題を今さらネットでみつけてヤイヤイ言っている時点で、お前は初等教育をちゃんと修了したんか、という疑問が発生するが、それは一旦置いておく。

説明を聞いても納得できなかった。なんで(40+60)÷2じゃダメなん??というのが正直な感想だった。

数学の先生が「ネ簡単でしょ、わかったでしょ」と言っているのにこっちの頭が「???」な時、計算の前提となる単語や問題文の捉え方に齟齬が生じていることがある。今回もそれなのかと思って、今一度問題文を嚙み砕いて考え直してみた。

 

「少女は、車を運転して家から隣町までの距離を往復した。」
この"少女"というのが運転免許を取得することの出来る18歳以上の女性に対して適用される言葉であるかどうかの議論は、恐らく今回の計算には関わらないだろうから省くとする。
"家から隣町までの距離を往復"とあるのは多分、「二地点間の距離は不明(或いは任意)とするが、行き来する道のり(距離)は同じであるとする」「往復で長さの異なる道を使った可能性は考えないものとする」ということが言いたいのだろう。

「行きは時速40km。帰りは時速60km。」
信号待ちなんかも含めた平均時速が、行きは40kmで帰りは60kmだったということだ。

「では、少女の平均時速は?」
あれ、"平均時速"ってなんだ?自分も一個前の項に使っている言葉だが、そもそも時速(速さ)とは距離を時間で割った平均の値であるはずだ。
ここで云う"平均"というのは「赤赤」とか「瑞々しい」のような強調の意味合いを持たせた畳語表現なのだろうか。それとも、平均した値をさらに平均した値(?)という意味なのだろうか。

 

未整理な部分こそあるが、一先ず書き出してみた①、②、③の条件から「240÷5」という式に繋げる方法を考えてみて、そして気が付いた。

作問者は「"往路"と"復路"という二つの道のり」ではなく、「"往復路"という一つの道のり」であると捉えているのではないか、と。

この問題を考えている時、自分の頭の中には

(往路・発)家------------隣町(往路・着) →120kmを時速40kmで走った
(復路・発)隣町------------家(復路・着) →120kmを時速60kmで走った

という図式があったが、作問者のイメージした図式は

(往復路・発)家------------隣町------------家(往復路・着)

                   ↳240kmを時速48kmで走った

と、こういうものだったのではないだろうか。

 

「問題文中の登場人物が"少女"一人だけなのだから、行きも帰りも運転したのは少女である」という部分までは恐らく共通の認識なのだろう。
だがそこから先が決定的に違っていて、作問者は「運転手が同一の人物である」ということを「時間的連続性がある」と解釈しているのではないだろうか。

「(40+60)÷2」派の自分は"往復"という言葉を聞いて買い物や里帰りをイメージし、数分か数時間か、或いは一日二日くらいの時間的隔絶があるのだろうと、即ち"時間的に別人"であるのだろうと考えていたが、「240÷5」派筆頭たる作問者のイメージする"往復"というのはどうやら、水泳やマラソンの折り返しのような、時間的に連続したものであり、往路の少女も復路の少女も"時間的に同一人物"であるようだ。

仮に、登場人物が少女Aと少女Bの二人だったとする。Aが往路を時速40kmで、Bが復路を時速60kmでそれぞれ運転した時の平均速度を求めよ、という問題があったとして、人格によって区別することの出来る二つの道のりを、"往復"と一纏めにしてしまうことには違和感がないだろうか。人格的にしろ、時間的にしろ、別の人物によって走破されたと考えることが出来るのならば、それぞれの道のりもまた、別個のものであると考える余地があって然るべきである。

つまり「(40+60)÷2」派の頭の中には、時間的に別人である"少女(往)"と"少女(復)"が存在し、同じだけの距離をそれぞれの少女が走った、という物語が浮かんでいるのだ。たぶん。

 

以上のことを踏まえると、やはり「(40+60)÷2」が不正解であるとは言い切れないのではないか、と思えてくる。少なくとも上述の問題文には時間的連続性に関する記述が無いため「"往路"と"復路"という二つの道のり」なのか、「"往復路"という一つの道のり」なのかという判断が出来ず、「(40+60)÷2」と「240÷5」の二つの可能性が発生してしまう……と云うことが出来ないだろうか。

速度を10の倍数にするため車というテーマを使っておきながら、引っかけてやろうというスケベ心なのか、態々"往復"なんて書き方をした結果、解釈違いの余地を与えてしまっている。問題文としての正確性、公平性を重視するならば、先に挙げたような水泳やマラソンをテーマに作問し、時間的連続性を明らかにすべきであった、と結論付け、本稿の締めくくりとする。


「別に違和感とかねーよ、屁理屈言うな」と言われてしまえば返す言葉はないし、「これはこう解くんだよ覚えてネ」というのが受験数学の定石なのかもしれないが、それでもやっぱり頭ごなしに不正解扱いされるのは納得いかね~!ということが言いたかった。

数学で点数がとれなくて私立文系の受験を決めた生徒が、授業中寝てたクセにテスト返しの段になって作問に不服を言っているようなものなので、アドバイスや誤解の指摘等あれば遠慮なく、出来るだけわかりやすく、伝えてやっていただけるとありがたいです。